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2006年03月22日

明日、12年半もの生活にピリオド・・・・

やすぴ~です。
私は、大学を出るのに、12年と半分もかかってしまいました。一般的にはあり得ないことです。
正直、たいていのヒトは「あほなヒトなんだなあ」と思うか、「遊び人」と思ってしまうのがふつうだろうとそう思います。

大学と言うところに初めて入ったのは、高校を卒業してすぐ、1993年の春のことでした。
そのときは工学部の化学系の学科を専攻させていただきました。わざわざ通学できない学校を選択した、それがそもそも私の今日これまでの歩みのきっかけとなったのでしょう。

その大学では、アルバイトとクラブとに必死になってしまいました。楽しかったんですよ、ええ。なんと言うんでしょう、開放感といってしまえばいいのか、自分で何かやっているというそんな感じというか。でも、そんなものと背中合わせに、はじめ「勉強したかったこと」を追うことをやめてしまったような、そんな気がします。たぶん、一気にイヤになったのは、「化学序論II」と名ばかりな、「化学に関する英語教材の輪読」の授業がトリガーを引いてしまったんだと、振り返るとそう思います。英語自体、和訳をするのが大嫌いだったこともありますが、大学の教員というのは実にいい加減というか、さじ加減というか、好き勝手というか、やりきれない理不尽さが、その授業ではあったのです。まあ、なんというんでしょう、いろいろ適当にしのいでやってしまえばよかったんですけどね。わたしって、忍耐がないというんでしょうかね。楽な方へ、楽しい方へ逃げてしまったような気がします。

そんなのが積み重なってしまい、気づくと同級生は卒業してしまっている。クラブの後輩も立派に学業を修めている。なのに私はフーテンなことをして過ごしていました。もちろん、化学自体は嫌いな科目ではないのですが、正直単位修得がつらいものへと変化してしまっていました。これでは、何のために勉強してんだか、わからん。あー、あんとき、変な意地を張らなければ、こんな異ならなかったのかな。という思いも強く出てくるようになってしまっていました。そんな気持ちを唯一紛らわしてくれたのがアルバイトでした。また、そのときでしょうか、インターネットという世界に浸かってしまったのは。

そうこうしているうちに、アルバイト先も閉店となることで、追われてしまい、学業は単位取得が修業年限で間に合わないことに気づき、7年目半ばでやめることにしました。もう、イヤだなと思っていたときから3年たって、やっとやめることができたんでした。

それから、もう一回大学で勉強するほかない、と決意しました。いや、中退するときからそのつもりでした。なんだろ、7年半は無駄な経過ではないけど、学を修める上では中途なままで終わることは自分の中で許されませんでした。

当初は情報系の学を修めたく、それ系の2部へ進む予定でしたが、なんのことか、出願寸前で教育学部・小学校教員養成系の2部に進むことになりました。これって何の因果でしょうか。1993年に「意地」を張らなければ、進んでいたろう進路そのものでした。(現役の時は昼間部でしたが)
あ、やっぱりもともと進んでみよう、と思っていたさやに収まってしまうんだ、というこの人生の性に恐ろしさを感じました。

2部ですから、仕事しながら、アルバイトでも、正社員でもしながら通学できることは、私にとって大変好都合でした。すっかり前大学ではアルバイト中心の学生が身についてしまっていたため、むしろ働いていない学生の方があり得ない状態でしたから。しかし、やはりいろいろと仕事をしながらですし、限られた時間とキュンキュンカリキュラムでは、いけないときも出てしまって、覚悟はしていたものの、一年延びてしまうことを覚悟しなくてはならなくなりました。まあ、ちょっとは気のゆるみだったかもしれません。でも、アルバイトのように、頼み込む、という作戦ではつとまらない部分でもあり、いい勉強になったと思うほかありません。
ま、ただそのおかげで、副免状の取得にチャレンジすることもでき、その点ではずいぶんと助かったように思います。


なんだかんだと、12年、無駄な過ごし方はしていないつもり。でも、ひとからみたら、ものすごく回り道。経験しなくてもよいよいな寄り道をいっぱいしてしまいました。
でも、寄った道すがら、様々な体験と、出会いを得ることができました。ふつうの4年間を過ごしただけでは得られなかった、ヒトとの出会いふれあい、そしてコミュニケーション。その多彩な感性の持ち主と多く出会え、学生という立場も使いながら全力でぶつかり合った、そんな友人が、私の12年間すべてを支えてくれたんだと、そう感じます。

ありがとう、12年。

投稿者 yasupi : 23:08 | コメント (765)